御朱印散歩 東京編 芝東照宮へ 田町駅発~国会議事堂ルート①
はじめに
平成から令和への切り替わりには、記念の御朱印を頂くため多くの人が神社仏閣に殺到したそうですが、そんな人波が落ち着いたころのある日。令和最初の御朱印ウォークに行ってきました。
今回のルートは山手線田町駅をスタートし、東京タワーを横目でみながら国会議事堂方面へと歩くコースを計画。江戸から明治への転換、昭和の繁栄を経て現代の政治の中心地へと時代の変遷をたどり、その歴史の渦中で地域と人々を見守り続けてきた神社仏閣の御朱印を頂くのが目的です。ゴールのお楽しみは永田町黒澤のお蕎麦に設定しました。
google先生によれば最短距離で3.8km、徒歩で51分。
御朱印を頂きながら神社仏閣を散策し、寄り道しながらのんびり歩いて3時間程度を想定しました。朝10時過ぎに田町駅を出発するとお蕎麦に到達するのは1時過ぎでしょうか。
御朱印散歩 東京編 田町駅発~国会議事堂ルート①~⑤ の内容は下記の通りです。
芝園橋と芝東照宮方面へ
大門から芝大神宮へ
青松寺、愛宕神社へ
現代の政治の中心地を通ってゴール黒澤へ
①芝東照宮の御朱印目指して
薩摩藩蔵屋敷と広大な薩摩三田藩邸のあった田町~三田
山手線田町駅に降り立ち、三田口を出て第1京浜を右に行くと三菱自動車ショールームの前に江戸開城会見之地の碑があります。
ほんの150年ほど前、この薩摩蔵屋敷で西郷隆盛と勝海舟が会談したんですねえ。江戸から明治へのバトンタッチを平和裏に行うため江戸開城会談が行われた記念すべき場所。せごどんでも会談シーンがありましたが、現在のこの景色を見たら改革を目指した二人はどんな感想を抱くのでしょう。当時JR田町駅あたりは海の中。この蔵屋敷のすぐ後ろは砂浜だったと碑に記されています。いだてんでつかわれていた落語の芝浜はこのあたりにあった砂浜の名称だそうです。
ここから東京タワー、増上寺方面に向かう前に早速寄り道をします。
西郷さんともかかわりの深い酒蔵若松屋を現代に蘇らせた「東京港醸造」。ここの存在を知ったのはなんと大阪です。去年の6月、たまたま訪れた大阪の姫島神社で御朱印を待っている間に頂いたお神酒が東京港醸造の清酒「江戸開城」でした。東京の真ん中に酒蔵!という驚き。御朱印のご縁なので折があれば行ってみようと思っていました。
第一京浜の反対側にわたり、浜松町方向に少し行った芝4丁目交差点の手前、セブンイレブンの裏側の細い路地に東京港醸造はありました。
残念ながら開店は11時から。いずれにせよスタート早々荷物を増やせないので、いつか田町をゴールにしたコースを辿るときに清酒のお土産を買うことにしようと思います。
東京港醸造を後にして第一京浜の1本北側の道を芝3丁目の交差点に向かいます。この交差点の少し先、慶応大学方向に少し行った左側NEC本社ビルの脇に薩摩三田藩邸跡の碑があります。古地図アプリで見てみると薩摩藩邸の広いこと。藩の勢力の大きさがうかがえます。今立っているこのあたり一帯は藩邸の敷地内だったのですねぇ。
日比谷通りを芝東照宮方面へ
芝3丁目交差点を日比谷通り沿いに首都高の芝園橋入り口方面へ進みます。
すぐに芝園橋の親柱が見えてきます。橋の頭上に首都高、橋の下には古川が流れています。この古川という名は、渋谷区に入ると渋谷川という名に代わるそうです。車で通りすぎてしまえば芝園橋はもはや橋であることを忘れそうなほど交通量の多い日比谷通りの一部分ですが、歩いて橋を渡り、川の流れるこの地域の原風景を想像するのも散歩の醍醐味です。
芝園橋が架けられたのは大正15年だそうです。江戸時代はこの川の向こうに増上寺の寺領が広がっていたので、薩摩藩邸から増上寺方面に行くには東海道の公儀橋、金杉橋をわたることになります。スタート直後の会見の碑があった第一京浜をそのまま浜松町方面に進むと金杉橋です。そのまま進んで増上寺の旧総門、大門や芝大神宮を通過し1里で日本橋ですから金杉橋は江戸の交通の要所であったといえます。
さて、話を戻して芝園橋を渡り、首都高をくぐって日比谷通りを進むと芝公園です。野球場を過ぎると見通しのよい公園の手前に芝東照宮があります。大都会の中に佇んでいる東照宮の鳥居や木々のこんもりとした景色はこの地域の過去と未来をしっかりとつないでいるようです。
芝東照宮はもともと増上寺境内にあった安国殿を明治の神仏分離令によって増上寺から分離し東照宮と称するようになったと由緒にあります。境内には第3代将軍徳川家光が植えたとされる天然記念物の大イチョウがあります。人間の都合など知る由もなく江戸から令和の現在までずっとここに立ち泰然と時の移り変わりを見てきたのでしょう。
ご本殿まで来ると鬱蒼としてマイナスイオンたっぷりの森のにおいを感じます。武蔵国の面影がここにしっかり根を下ろしています。
ご神像は寿像。60歳の家康の彫像だそうです。「永世国家を守護なさん」と祈念して本人が作らせた家康の等身大の像。天下統一と国家の安定を目指し江戸時代を築いた家康は、その260年あまり後に訪れた江戸幕府の終焉と江戸城明け渡しをどのように評価するのでしょうか。
昭和の戦火も免れたご神像に今後の日本の平和を祈念せずにはいられません。
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